この「自由からの逃亡」という言葉をご存知だろうか?たしかナチスからの亡命学者、エーリッヒ・フロムが1941年にドイツのナチズムの発生を心理学的考えたものであるが、私はつくづく人間が、自由を手に入れてもそれを使いこなすことができない動物であると思う。社会というものが存在して現在の世界は成り立っているが、これこそ自由からの逃亡である。本来の自由とは、野生に生きるサバイバルな状況だと思う。その自由を捨てることで、社会という誰かに管理され・法によって秩序が作られたカゴの中に入ってしまい。自由を捨てて生きている。 それを最近、このインターネットでも感じる。 これは、勝手な妄想かもしれないが、クラスで使う掲示板を用意すると、書き込む人と読むだけの人と、使わない人に分類されるが、おそらく多くの場合は、書き込むよりも読むだけの人が多いだろう。もちろん書き込むことがないと言えばそれまでだが、インターネットという発言の場を設けても、それをうまく使わず、ただ情報を供給してくれるものとしての利用価値しか見出せないことになってはいないだろうか?これもひとつの自由からの逃亡なのかもしれない。何かに情報をもらうことだけすれば、それは楽なことではあるが、同時に発言しないことで、一方的な発言者からの支配になっているようなものになることがある。 自由に慣れてしまうと、人間は飽きてやがて支配されるという流れがどこにでもあるみたいだし、人間はそういう生き物なのかもしれない。 というのが、私の妄想です。 PR
私が先週からゴミ箱で飼育していた、小さな隣人がついにいなくなりました。飛んでいったのか、ゴミ箱の中で力尽きたのか・・・いつもなら夜になるとガサガサと音を立てているのですが、もうあの音は聞こえなくなりました。どこかいったのか、ゴーイングヘブンか?それとも・・・
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